大長編「チンギス紀」全17巻の執筆前後、北方謙三さんは掌編を書きためていた。1編わずか原稿用紙15枚。「長編でゆるんだ文体を引き締めるために書いた」という小説は18編となり、連作集「黄昏(たそがれ)のために」(文芸春秋)としてまとまった。
「心のなかでね、15枚目の最後のマス目に、まず丸(句点)を打つ。で、書き始めるんだけど、最後の2、3枚はきついんだ。それでも言葉を絞り出すように書いていくと、気がついたらぴったり終わってる」
18編の視点人物は50代後半の画家である「私」。画壇に属さず、独り絵に向き合う。つかの間に女性と戯れ、ときおり厨房(ちゅうぼう)に立ち、定期的に訪れる画商に絵を渡す。そんな日常が乾いた文体で描かれる。
「〈私〉を俺と思われるようにしたかったから、日本文学の伝統である私小説の手法を使った。小説家だと完全に俺になるから、違うジャンルの表現者に。50代後半にしたのは、創作のレベルの感性がぴったり合うんだよ。実年齢は76で後期高齢者だけど、書いていて全く違和感がなかった」
「私」の頭の片隅には常に絵のことがある。「毒の色」では、知人のオーベルジュを訪れ、山でビニール袋いっぱいの紅葉を集めている。色の採集に熱中するあまり、後半に出てくる「ふるえる針」では、あやうく遭難しかけてしまう。
「山の中で色の探求をするわけだけど、葉っぱの色を無数に集めても絵に使えるのは2~3枚。そんなのは画家だからできるんであって、俺が言葉に命を賭けるように、色に命を賭けてるんです」
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://book.asahi.com/article/15312673
引用元: ・北方謙三さん「黄昏のために」 原稿用紙15枚の連作、そぎ落とし「徹底的なハードボイルドに」 [朝一から閉店までφ★]
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